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* [[1976年]] - [[株式会社]][[戸塚ヨットスクール]]開校。当初はオリンピックでメダルを獲れるようなセイラーを育成するためのスクールとして発足したが、翌年の秋頃[[不登校]]などの[[情緒障害児]]の更生に効果があると評判になり、マスコミで紹介されてからは、もっぱら情緒障害児の[[治療]]を目的とした活動へとシフトしていった。同スクールの合宿に参加した[[上之郷利昭]]が著した「[[スパルタの海]]」では、同スクールの活動が生々しく報告されている。コーチ陣の過度の訓練・体罰が近因となり死者5名(2名は傷害致死、1名は病死、2名は行方不明のまま[[みなし死亡]])を出す。
 
* [[1976年]] - [[株式会社]][[戸塚ヨットスクール]]開校。当初はオリンピックでメダルを獲れるようなセイラーを育成するためのスクールとして発足したが、翌年の秋頃[[不登校]]などの[[情緒障害児]]の更生に効果があると評判になり、マスコミで紹介されてからは、もっぱら情緒障害児の[[治療]]を目的とした活動へとシフトしていった。同スクールの合宿に参加した[[上之郷利昭]]が著した「[[スパルタの海]]」では、同スクールの活動が生々しく報告されている。コーチ陣の過度の訓練・体罰が近因となり死者5名(2名は傷害致死、1名は病死、2名は行方不明のまま[[みなし死亡]])を出す。
 
* [[1983年]][[6月13日]] - コーチと共に監禁・傷害致死の容疑で[[逮捕]]。   
 
* [[1983年]][[6月13日]] - コーチと共に監禁・傷害致死の容疑で[[逮捕]]。   
* [[1986年]]7月 - [[保釈]]される。[[早稲田祭]]で人物研究会の招きにより講演。以後も[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]「[[EXテレビ]]」など各種メディアに登場、[[脳幹]]を鍛えれば癌やアトピー、うつ病、登校拒否などあらゆる病状を克服できる趣旨の「脳幹論」を肝とした持論を展開する(但し本人は[[脳科学]]者ではない事は論を待たない)。
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* [[1986年]]7月 - [[保釈]]される。[[早稲田祭]]で人物研究会の招きにより講演。以後も[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]「[[EXテレビ]]」など各種メディアに登場、[[脳幹]]を鍛えれば癌やアトピー、うつ病、登校拒否などあらゆる病状を克服できる趣旨の「脳幹論」を肝とした持論を展開する([[脳科学]]の知識は何も無い)。
 
* [[1995年]] - 右派の政治政党[[維新政党・新風]]に、賛同者の一人として名を連ねる。
 
* [[1995年]] - 右派の政治政党[[維新政党・新風]]に、賛同者の一人として名を連ねる。
 
* [[1999年]] - 「[[電磁界等を考えるシンポジウム京都会議]]」に、発起人の一人として名を連ねる。
 
* [[1999年]] - 「[[電磁界等を考えるシンポジウム京都会議]]」に、発起人の一人として名を連ねる。

2011年12月31日 (土) 21:06時点における版

この人物は虐待やいじめを支持する日本の恥です!


戸塚 宏(とつか ひろし、1940年9月6日 - )は、日本の各種学校経営者。戸塚ヨットスクール校長・ヨットマン。元受刑者。愛知県出身だが、出生は朝鮮咸鏡北道清津市

名古屋市立菊里高校名古屋大学工学部機械工学科卒。在学中にヨットに出会う。

来歴

人物

収監前の記者会見では「出所後は私立小学校を開設したい」と抱負を述べていたが、出所後に静岡駅で支援者とともに会見した時には、ヨットスクールを続けていきたいと語った。

反戸塚ヨットスクールキャンペーンの先頭に立った『サンデー毎日』の毎日新聞社を猛烈に憎んでおり(逮捕を報じた号では手錠をかけられて護送される写真が表紙を飾ったこともあった)、同社の取材には一切応じない、との説もあったが、毎日新聞は出所直後の静岡市内での記者会見の内容(「体罰は教育だ」などの発言)をいち早く報じている(支援する会のウェブサイトには以前、取材拒否する旨の記載があった)。義家弘介と激しく対立する。

著書

関連項目